そんなわけで、さらに別のパターンについて‥‥。
それは「自分だけで決めていい答え」で、例えば「珈琲は好きですか?」というような質問をされたとすると、それに対する答えは自分がどう思うかによって変わってくることになって、それがどんな答えであったにせよ間違った答えにはなり得ません。(脈絡のない答えは問題外として‥‥笑)
ところで、前回の「多数決〜」のパターンのときは「一般的にどうなのかをイメージすることにいくらか意味がある」といったようなことを書いてますが、今回のパターンではそういったことを考えることに何の意味もないことは明白でしょう。
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‥‥とkenは思うのだけど、これが結構こういう質問でも「他の人はどうなのだろう」と気にしながら答える人がいるもんです。
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そういえば今書きながら思い出したけど、筒井康隆がエッセイの中で「愛は不変でありえるか」という質問に対して「愛が不変であり得たという事実がある以上、愛は不変であり得るとしか答えようがない」といったようなことを書いてるんです。
ちょっと考えたらわかるように、この質問は「相手の考え」を尋ねているようでもあるし「一般論」を尋ねているようでもありますが、実は単に「既成の事実」を尋ねているに過ぎず(まるで「1+1は?」のように)、筒井康隆の答えはもっともだと思います。
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しかもこういった「恋愛がらみ」の話の場合、既成の事実がほとんど何の役にも立たないとわかるような答え方をしてる筒井康隆はやっぱすごい人だと思います。
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うぅ‥‥この先どっちへ話を持っていったらいいか道が3つくらいにわかれた‥‥。
というわけで、今日はここまでにしよぉ。