何かの質問なり疑問なりに答えを出さなきゃいけないとき、その「答え」にはいくつかのパターンがあります。
「そりゃ、質問が違えば答えも違ってくるから答えには何パターンもあるでしょ」といった類のパターンじゃなくて、「なぜそれが答えになるのか」といったレベルでのパターンなんです。
かなりシンプルな例として「1+1は?」という問題を出されたとすると、よっぽどのことが無い限り「2」という答えが返ってくることでしょう。
では、なぜ「2」が答えになるのかというと、それは数学のルールとして「1+1=2」というものがあらかじめ決められているからで、いわばこの答えは「あらかじめ用意されている」パターンの「答え」なわけです。
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ところで、こういった「あらかじめ用意されている答え」を求められたとき、それが答えられるか否かは知識としてその答えを持っているかどうかにかかっているわけで、そういった問題によって人格なり思考形態なり好みなりを推し量ることは難しいでしょう。
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ただ、上にも書いたようにこの問題が「かなりシンプルな問題」であることに異論のある人は少ないと思いますが、もうちょっと考えてみるとこれだけシンプルな問題でさえ実は結構奥の深いものであることに気づきます。(とは言っても実は小学校の段階で一応説明されてる内容ではあるんですが)
例えば、「ここにリンゴが一つとミカンが一つあります。あわせていくつでしょう?」という問題があったとすると、単に数字の上での計算でいいなら答えは「2つ」になりますが、実際は「リンゴはリンゴであってミカンはミカンだからあわせられない」ということになります。
また、「バケツ一杯の水」に「小サジ一杯の水」を追加しても、それはきっと「バケツ一杯の水」に変わり無いわけで、ここでも妙なことになってしまいます。
要するに「1+1=2」というのは、同じ質と量をもつもの同志の計算にしか通用しないルールなわけで、つまり「1+1は?」という問題に対する「2」という答えは実はかなり限定された状況でしか通用しない答えということになります。
ということは、自分たちが日常的に直面するもうちょっと「ややこしい問題」に対する答えを出すとき、それが「どういう状況のとき答えとして通用するのか」を考えるべきなのかもしれません。
実は上の「-----------------」でくくった部分のことについても書きたかったんだけど、それはまた今度ってことにして今日はここまでね。