あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
‥‥と、正月から2週間も過ぎてボケた挨拶をしてみたりする。
前の話が一段落ついて、別の話題に入るかもう一押し突っ込んで展開するか迷いながらほったらかしてるうちに年を越してしまいました。
まぁ年も変わったことだし、前の話題はまた突っ込みたくなったときにやるとして新ネタに入りましょう。(これまでの話で突っ込みや疑問等があったらうちのテスト掲示板に書いてね)
kenとごく親しい人にとってはいまさら言うまでもないことだけど、kenはとんでもなく無精者なんです。
はっきり言って飯食ったり呼吸したりするのも面倒くさいくらいで、それが生命に関わる問題じゃなけりゃそんなこと滅多にしないね、きっと。
ところがそれと同時に、kenとごく親しい人にとってはいまさら言うまでもないことだけど、kenはやたらこまめな性格なんですね。
何かするとき、ちゃんとやることやってないと落ち着かないっていうか、例えばプログラム書いたりするときはじっくり考えて、出そうなエラーを想定して処理ルーチンを書いたり、ユーザーの立場に立ってなるべく便利な仕様を練ったり、そのあげく考えすぎて重箱の隅をつつくような状況に陥ってしまったりするほど細かいやつなんです。
自分の内面にはこういった矛盾をはらんだような部分がいくつもあって、そのことはずっと若い頃から自覚してたんだけど、そういう部分がいくつもありすぎたせいかそこらへんあまり深く考えたこともなかったんだけど、最近たまたまあるコンピュータ関係の本を読んでたら、その中に「無精」に関する記述があって、それを読んで少なくとも上に書いた二つの側面は決して矛盾するものでは無かったことに気づいたんです。
その本では「無精」の定義(意味)として次のように書かれていました。
>「トータルでみたエネルギーの支出を減らすために、多大な努力をするようにあなたをかりたてる性質」
これを読んだとき、「これだ!」とポンと膝を叩いたkenなのでした。
そうなんです。kenがこまめに動くときのことを思い返すと、後でより面倒なことになりそうな予感があって、その面倒を避けるために事前にこまめに手をうってるだけで、要はトータルして楽できればいいっつーか、楽するためなら苦労は惜しまんっつーか、とにかくそういうことだと気づいたわけです。
このように、現象面では一見矛盾するようなことでも実は根は同じってこと多いんでしょうね。