相変わらず風邪気味モードのkenです。
ボロボロ状態からは復帰して風邪気味程度に治まってきましたが、まだちょっとはなたれ小僧やってて、今日も仕事から帰って来てゴロゴロしてるうちにコロっと寝入ってしまって妙な時間に起きてしまった。
ところで、一般的に文章を書くとき文末を統一する(「〜です」「〜ます」/「〜である」「〜だ」等)ことになってるけど、あれはなんでなんだろね?
その方が読みやすいからかなぁ‥‥?
文末の書式はどうあれ文章の意味に違いは無いから統一した方が読みやすそうなのはわかるんだけど、意味に違いは無くてもかなりニュアンス違ってくると思わない?
日本語のルールをまともに勉強してないkenとしては感覚的なことしか言えないけど、人の書いたもの読んでても別に文末の不統一ってあまり気にならないし、自分で何か書く(ここの文章とかさ)ときなんてあえて意図的に文末を使い分けてるフシがある。
例えば「自分はハンバーグが好き」ってことを書くのに、
a.「私はハンバーグが好きです」
b.「私はハンバーグが好きだ」
この二つを読み比べてみると、意味として同じことを言ってても、ニュアンス的にはa.の方は単に事実を言ってるようなのに対して、b.の方は主張してるように聞こえない?
さらに、
c.「俺はハンバーグが好きです」
d.「俺はハンバーグが好きだ」
主語が「私」から「俺」に変わっただけで意味に違いはないけど、c.は何か心に情熱を秘めた意見に聞こえて、d.は情熱とともに吐き出された意見に聞こえない?
もしかしたら文末を統一することにはもっと深い理由があるのかも知れないけど、統一しないことによるメリットも捨てがたい思うんだけどなぁ。
ここらへんの事情に詳しい人いたらメールで教えてねー。